2015年8月25日火曜日

夏と熱い茶と現代人

「お客様に熱いお茶を」なんて聞きますが昔は違った訳であり「何が違うねん」と云えば昔は
「冷めたお茶」をお客様に供するというのが本当の作法というか最上の「おもてなし」だったのである。

これを現代社会で実行すると上司に「大切なクライアントに冷めた茶を出すとは君は何を考えているのだ」
などと叱責、罵りなどの罵詈雑言を投げ掛けられたりするのであり、茶を供された方も「ぬるっ……」なんて
吐き捨てたように云って茶碗を置くのではないだろうか。

本来「冷めたお茶」を供されたということは、それだけ時間を掛けて淹れられたお茶ということであり
非常にありがたいことなのである。

しかしながらただ「冷ましたらええ」というものでもなく、品質の良い茶をゆっくり丁寧に淹れることが
肝要であることは云うまでもない。

高度経済成長なんてーのを経てこの日本のスピード社会と申しますか「何でも早い方がええやん」という
風潮或いは思い、若しくは「現代ならば当然」という考えが「おもてなし」というものを全くの逆さまに
してしまったのではないかと思う。

これは「ペットボトルのお茶」にも云えることであって、コンビニ、自動販売機などで手軽に買えてすぐに飲めるという利便性「スピード」並びに「お茶が売れるんやったらええやん」という茶業界の「なんやかんや」が、これまた本来の急須でお茶を淹れるという基本的な概念を現代人の頭脳から消失させる結果となり、またここでも「逆転現象」が起きているという由々しき事態にも拘らずそこに切迫感、焦りというものが微塵も感じられないというのは如何なものだろうか。

かなり脱線したのだが今回は「夏に熱いお茶ってどうよ」という問題である。

自分は暑い夏の日でも午前中などは熱いお茶を淹れることが多々あり煎茶や玉露は湯を冷まして淹れるので
問題はないのですが、ほうじ茶なんかは熱湯で淹れるので当たり前ですが夏は暑いし熱い。

「ほうじ茶」は香りを出す為に熱湯で淹れるのですが、夏場に熱湯で淹れたほうじ茶は正直に云って味も香りも
へったくれもなく「ただ熱い」ので結局はそれを少し冷まして飲む訳です。

冷ました湯で淹れてはほうじ茶の香りも出ませんし、冷たいほうじ茶を淹れたければ、まず熱湯で淹れてから
別容器に移して冷水などで荒熱を取ってから冷蔵庫へという手順になります。

「めんどくさいな」と思われるだろうが、ここでスピードと利便性だけを追い求めてはいけません。

「ほんなら熱いお茶を飲まんかったらええやん」と仰るが、夏場に冷たいものばかり体内に入れていると内臓は冷えるのであり「外は熱いけど中は冷たい」みたいな人間冷蔵庫状態は健康を害するのであって、極力は内臓を冷やさない方が良いと経験上感じているので、夏でも「熱いほうじ茶」や「雁ヶ音」などの茎茶を自分は好んで淹れるのである。

結局は何事も「頃合い」が肝要であるということで「熱過ぎる」のも「冷たすぎる」のも良ではなく
「丁度良い」温度、淹れ方や楽しみ方があるのだなぁと感じた次第である。

「はよお茶冷めへんかな~」とか呟いている自分もやはり現代の日本人なのだと痛感した
夏の終わりと台風と熱いほうじ茶。