「中国茶の点てかたやと…」
これはどうも「このお茶は急須で淹れたものかペットボトルのものかどちらでしょーか?」と和菓子職人に問うが如く「なんか違うやろ…」とかなり弛緩した状態でも思ったのである。
「コーヒーをたてる」という表現は皆さんも耳にしたことがあると思いますが、これも実際はどうかと考えてみるに「違う」気がしていて、コーヒーもやはり「淹れる」というのが正解なのではないかと自分は思う。
しかし「コーヒーを立てる」或いは「点てる」というのはあながち間違いではないというか気分的には理解できるのであって、それはドリップの際に細かな泡が立つという「泡の存在」があるからではないだろうか。
「点てる」を考えるとこれは当然ながら「抹茶」である。
「お抹茶を点てます」これが正解であると思うが、「点てる」を調べてみると「点」には「いれる」とか「少し」という意味が含まれており少量のお茶を作るという意味で抹茶の場合はこれを「点茶」という。
だがこれに他のお茶も当てはめてしまうと少量だけ淹れるお茶の玉露、高級煎茶なども含まれてしまうのではないかと考えるとこれはおかしい気がする。
「玉露を点てます」或いは「煎茶を点てます」という表現は今まで聞いたことが一度もない。
こうして考えてみると「泡の存在」なんてものは全く関係がないのであって、抹茶を点てた際にできる「泡」とコーヒーをドリップする際の「泡」の感じが似ているというか、茶筅で立てるのとは全く違うけれども「コーヒーは点てる」でも許せる「感覚」が自分の中にはあることに気づいた。
ここで台湾の件に戻るのだが、番組で女性モデルが台湾の有名な「茶屋」に行って「中国茶の作法」を習うという内容で日本語のやたら上手な台湾のお茶の先生が登場し、中国茶(白茶)の楽しみ方、作法などを女性モデルに教えているのであるが、その中で先生は「お茶を点てる」とおもいっきり仰っておられた。
これには弛緩しきっておった自分も「何やと?」となったのは上でも書したけれども、ひょっとして中国では一般的にお茶を淹れることを「点てる」と表現するのであろうか。
新たな疑問が沸いて今度は脳が「弛緩」したのは云うまでもない。
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