「お茶は、あくまで半製品なんです」
以前、京都の老舗のお茶屋さんに取材した時に聞いた言葉だ。
収穫したチャを製茶して、商品として販売しているものの、
最終的に「お茶」として完成させるのは、消費者であるという意味だ。
そのように捉えているからこそ、お茶の選び方から、淹れ方まで、
丁寧に伝えることを旨とするのだと、担当者は付け加えた。
ワインをはじめとする酒類や、珈琲、紅茶などに比べると、
日本茶には、保存方法や道具、淹れ方、飲み方を語る
一種の「うるさがた」が、目立たないように思う。
それは、お茶が他の飲み物よりも、人の日常に近く、深いところにあるから。
と、思いたいところだが、果たしてそうか?そのままで良いのか?
生産農家、製茶工場、小売店に敬意を示す…というのとは違う。
最終的な仕上げを行う消費者(←この言葉が不味いのか?)が、
「お茶」をめぐるサークルの一員であることを愉しめるようになることが、
好ましい状況だと思うですよねえ…という単なるつぶやき。
…に、終わらせるわけにはいかないなと。
先日、生産農家さんの新茶収穫の現場にお邪魔して感じた次第。
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