2015年2月8日日曜日

土曜日は市場へ出かけ…


…かぶせ茶と、ほうじ茶を買ってきた。
「市場」は、京都駅の近くにある梅小路公園で毎月第一土曜日に開かれる手作り市。

元々は、「素人さんが創った手づくりの作品を発表する場」として、
京都市在住の有志が始めたクラフト系の青空マーケットだったが、
回を重ねるうちに「手づくり」の解釈が広がり、
生産農家の方々も参加するイベントとなった模様。
(京都には、寺社仏閣の境内といった「ならではの空間」を使った市場が多い)

お目当ては、森井ファーム&森井長左衛門カフェさんのお茶。
以前、百貨店の前で出店されていた際に、たまたま通りがかって買い求めた
かぶせ茶と、ほうじ茶を再び味わいたいなと。


農家さんのお茶と、お茶屋さんのお茶の大きな違いは、「合組(ごうぐみ)」にある。

お茶屋さんは、お茶農家から仕入れた茶葉の特性を吟味して、
店で扱う銘柄に合った合組(ブレンド)を行い、年間を通して安定した茶の味を提供する。
その年の出来不出来や、畑による微妙な風味の違いも踏まえて、
顧客に同じクオリティの茶を提供するのだから、合組には非常に高い技術が求められる。
(複数の品種のブドウを「アッサンブラーシュ(組み合わせ)」するボルドーワインと似ている)

一方、お茶農家さんのお茶は、自分の畑で作った茶葉を製茶するので、
合組のような調整を行うことができず、味は茶の生産技術そのものに左右される。
(ワインで言うなら、単一品種で作るブルゴーニュに近いイメージか)

どちらが優れていると比べるものではない。
茶の味については好みがあり、要は好きか嫌いかでしかないからだ。

「生産農家さんの顔を見て、その方から茶を買う」という機会を愉しむ。
または、「今年のお茶はどんな味だろう?」と、もしかすると微妙に変化するかもしれない味に
胸を躍らせる…といったところだろうか。

「市場」が開かれる日に、別の用事が入ることがあるかもしれない。
天気が悪くて出かける気がしないということもあるかもしれない。
いつでも、確実に入手できるお茶屋さんと比べると、出会いにくいお茶かもしれない。
(もっとも、機会を逃さないためにも、ネットやFAXなどで注文を受ける農家さんがほとんどだが)

でも、と言うべきか、だからこそ、と言うべきか。

「市場」で出会う農家さんのお茶には「味がある」と思う。
ただ消費するだけでは詰まらない…ある「ひと手間」を楽しむことが、
お茶を味わうことではないかと思う今日この頃である。

…と、いうわけで、今日、市場で買った一口レモンケーキと
森井さんのところのほうじ茶という、ちょっと変わった組み合わせを試してみた。
次の「市場」に出かける日まで、たっぷりと楽しもう。


2015年2月4日水曜日

節分の福茶


大晦日や正月、あるいは節分といった季節の変わり目に、
無病息災を祈念して飲む縁起物、「福茶(ふくちゃ)」。

天暦5年(951年)、京の都で疫病が流行った時、
村上天皇から悪疫退散を命じられた六波羅密寺の空也上人が、
街頭で祈願しながら、台車に積んだ茶に梅干しを入れて振る舞ったところ沈静化した。
…という功徳にあやかり、宮中で元旦と節分に茶を服するようになった。
後に庶民が、その「皇服茶」、「王服茶」をならうようになったのが、
「大福茶」、「福茶」の始まりだとか。

「後に」というのが、具体的にいつの時代かは分からないが、
梅干しや昆布、豆(黒豆、炒り大豆)といった素材を入れるスタイルになったのは、
煎茶が生まれ、現代に近い茶が庶民に広まった江戸時代ではないか。

まめまめしく働くから、「豆」。
よろこぶにかけた「昆布」。
松竹梅のめでたさとかけて「梅」。

と、洒落が利いているあたり、何となくそうなのではないかと思う。

節分の「福茶」には、豆まき用の豆(福豆)を吉数である「三」つ入れる。
いつ、どこで、誰が言い出したのかは分からないが、
「年齢の数(または、年齢+1個)の豆を食べるのと同じだけ効果がある」
と、(ある意味、経済的な?)都合の良い効用を加えた人は、えらいなあと思う。

「福茶」の味わい方も地方によって色々あるようで、
静岡県・袋井市には、三粒の豆を茶釜に入れて、
家族のうち杓でこの豆をすくった人が、幸運に恵まれるといった
「遊び」のような云われがあるそうな。

炒り豆、梅干し、昆布はおろか、お茶すら置いていないという家庭は多いだろうが、
季節の変わり目に、どこかイベントめいた趣きを持たせた茶の習慣は、
どうにか残していけたらなあと感じた次第。

2015年2月3日火曜日

「玉露のうまい淹れ方」コンテスト/レポート


先日、2月1日(日)に開催された全国「玉露のうまい淹れ方」コンテスト京都府予選。

京都では初めての予選会ということもあり、
30名という参加者が多いのか少ないのか分からないが、
友人のナカヤマ氏と、私、嫁、息子の4人のうち、
「誰かが決勝まで勝ち上がればいいなあ」なんて、
ちらっとでも想像したことが恥ずかしくなるほどの精鋭ぞろいであった。

予選で使用したのは、100g/5000円の京田辺産の玉露。
直前に、大会要項と共にサンプルが送られてきたが、質の良い茶葉であった。
「茶葉を惜しまず、湯を惜しむ」と言われるように、
玉露特有の旨味を損なわずに「必要最低限の湯」で淹れることができるかがポイント。
…と、意識したつもりではいたのだけれど、
茶業を営むプロとおぼしき、他の参加者の皆さんほど思い切れなかった。

下の写真の左から二番目が私が淹れたもの。三番目が決勝に残った方のもの。
茶葉のエキスを絞り出したことが、澄んだ水色からも良く分かる。
同じ茶葉、同じ時間でも、その手順や分量で全く違った味になる。
正直、ここまで違いが出るものとは思わなかった…いやはや、勉強になった。


予選グループを勝ち上がった6名による決勝戦。
(友人のナカヤマ氏と、私、嫁、息子の4人は、当然?勝ち上がれなかった)

急須と湯冷ましといった茶器だけを使うのではなく、温度計や秤を使う選手もいた。
アジアン・ティーを淹れるものと思われるガラスの茶器を使われる方もいた。
その手順、その違いを見るだけでも参加した価値があったなあと。

優勝されたのは、宇治市の日本茶インストラクターの方。
所作に迷いがなく、優雅な手つきに見えた。普段から相当淹れておられるのだろう。

コンテストでの勝ち負けはさておき、「うわあ、ええ感じに淹れるなあ」と、
見る人に印象を与えられるレベルを目指そうと感じた次第。



いやあ、玉露って、本当にいいもんですねえ。