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2014年11月5日水曜日

「マイ急須」購入のススメ

「私、お茶好きやねん」と云ってペットボトルや紙パックのお茶を買い求められる方々が居られますが「お茶が好き」と仰るのなら是非とも「急須」で淹れて試してみて欲しいと思うのです。
「急須」を使用してお茶を淹れるということは「茶葉」を使用するということであり、この「茶葉」には様々な種類があって、いわゆる緑茶と云っても煎茶、深蒸し煎茶、玉露、かぶせ茶など栽培方法の違いや製法の違いで味や香りも異なります。
この「味と香り」を存分に楽しめるのが「急須」という道具であり、コンビニ等で売られ「急須で淹れたような…」とCMしているようなペットボトルのお茶では味わえない「味と香り」を提供してくれます。
「焼き物」としての楽しみも味わい深いものがあり、陶器、磁器で作陶された好みの急須や湯のみを使った「お茶の時間」は格別なものです。
最も大切なのは高級なお茶やお菓子、道具ではなく「もてなし」の心であり自分はもとより家族や友人、お客様に美味しいお茶を淹れようという気持ちであると思います。
急須に茶葉と少し冷ましたお湯を入れて「お茶が出る」までの時間も会話を楽しみ、そしてお茶の味と香りを楽しむ。
是非ともお好みの急須を購入して「お茶屋」で茶葉を選んで淹れてみて下さい、きっと誰かにも淹れてあげたくなりますよ!


2014年10月30日木曜日

茶に合わせて急須を選ぶ。


思うところあって、常滑焼の急須を買った。
主に個人的に抱いている「お茶とそれを取り巻くもやもや」と向き合うためだ。

日本茶に興味を持つきっかけとなったのは、宇治の玉露で、
それを淹れるのに必要な「宝瓶」や「絞り出し」といった
持ち手のない急須にばかり目を向けていたのだが、
玉露を買い求めに訪れる京都のお茶屋さんも、
清水焼の産地にほど近い五条坂の陶器屋さんも、
「急須と言えば、常滑焼、あるいは萬古焼」という世の定説にしたがって、
二大産地の品を並べており…文字通り、避けては通れないモノなのだ。

お茶は単にノド、カラダを潤す「機能的飲料」ではなく、
ココロを満たす「情緒的飲料」だと言う人がいる。
湯を沸かし(時には湯ざましをして)、急須を使い、茶葉が開くのを待つ時間を持つことは、
実に素敵なことだと思う。確かに情緒的である。疑うことはない。

疑うとすれば、急須という道具の在り方だ。
確立されているようで、必ずしもそうでないのが、
茶葉と急須、湯呑みの組み合わせだ。

例えば、山吹色の水色を特徴とする宇治茶を愉しむなら、
湯呑みは、その水色を邪魔しない白色のものが良いように思うが、
その宇治茶を提供する京都のお茶屋さんの多くは、別段、こだわりを見せない。
急須においても然りで、煎茶にはこれ、玉露にはこれと
オススメの急須を置く店は、ほとんどと言って良いほど見かけない。

常滑焼、萬古焼のルーツは、中国の宜興の茶器、茶壺(チャフー)と言われている。
茶壺に使われる土が鉄分を多く含み、茶をまろやかにするものであったことから、
朱泥や紫泥といった(釉薬をかけない土の)品が作られるようになり、
世界の茶器の主流である「後手(あとで)」ではなく、「横手(よこで)」のものへと、
現在の(いわゆる)急須の原形を作ったのだとされている。

形状の進化と完成という意味で、常滑焼や萬古焼が果たした役割は大きい。
特に、常滑焼の急須の「ささめ」と呼ばれる目の細かな茶漉し部分や、
注ぎ口に対して直角よりわずかに内側に付ける持ち手の角度などは、
他の産地の急須にも取り入れられている。

むしろ、常滑焼や萬古焼は、影響を与え過ぎたのかもしれない。
高い技術で作られたものが、安価で提供されるようになると市場は進化を止める。
熱湯で早く出せるように改良された深蒸し茶が売れていくのにいち早く対応して、
常滑焼や萬古焼が、茶漉しにステンレスやフッ素コーティングを導入すると、
それがスタンダードとして定着してしまった感がある。

京都のお茶屋さんの多くが、作家性の高い京焼・清水焼ではなく、
普及品として機能性の高い常滑焼や萬古焼を置くのは良く分かる。
手入れの簡単なステンレス製の茶漉しが付いた品をすすめるのも、十分理解できる。
要は需要と供給のバランスなのだ。悪いことだと言うつもりなど毛頭ない。

それでもやはり、それで良いのか?と思う。

お茶を「情緒的」に愉しむためには、茶器のバリエーションの豊かさは欠かせない。
色や形といった見た目だけではなく、土や焼き方によって茶の味が変わるという
科学的データもあるのだから、それを踏まえたモノ作りと、アナウンスがあって良いはずだ。

茶業関係の人間ではないのだけれど、
「たかがお茶でしょ?そんなに沢山、急須を集めてどうするの?」
と、言われる人を少しでも減らしたいという欲がある。
それが何故だか尋ねられても、(今のところ)上手く言語化できない。
「料理に合わせて食器を選ぶように、茶に合わせて茶器を選ぶ」。
そんなことが当たり前の世の中になればと思うし、

…ということを確認するため「だけ」に、この急須を買ったわけではないし、
常滑焼や萬古焼には、一般普及品以外にも魅力的な急須があることも
紹介していこうと思うのだけれど、それはまた別の機会に。

2014年6月28日土曜日

アナの問題についての考察

「あな」と検索すれば「アナと雪の女王」となる昨今、自分は「穴」に興味があっただけで「アナと雪の女王」は観ていないし、この頃のアニメーションというのはヌルヌルというかどうも観ていて心地が悪い気がしており「あぁ昔のアニメがええわぁ」と思うのは自分だけなのであろうか。

さて、この「穴」であるが「急須の蓋の穴」のことであり、これ非常に気になって仕様がなくその都度に実験等を行っている。

問題なのはその「穴の位置」である。

煎茶道の作法、陶器を扱っておられる方々にとっては当たり前だろうがこの位置というのは急須の注ぎ口側に向けるというのが「決まり」というか「作法」らしい。

「急須の蓋の穴」は急須内の空気を逃がす穴であるが、この穴の位置でお茶の注ぎ具合がかなり変わる。

当然ながらお茶を注ぐには急須を傾けるのであるから、この穴を注ぎ口を向けていると一煎目は茶葉が膨らみきっていないので問題はない。

しかし、茶葉が水分を吸収して膨らみを増すにつれ急須の種類にもよるが「蓋の穴」が湯と茶葉で塞がれてしまい、お茶の出が悪いので急須を大きく傾けることによって蓋の隙間からお茶が溢れ出し、これが「尻引き」の原因になる。

煎茶道などの「作法」ではそこまで急須を傾けないであろうし、湯の量も少量であるのでさほど気になるものではないであろう。

そこで急須の蓋の穴は注ぎ口に向けるのではなく、正反対の位置にすると問題があるのだろうかという問題が浮上したので実験するに「特に問題はない」のであるが、土瓶など持ち手が急須の注ぎ口からそのまま後方に跨いでいるものは熱い湯気が持っている手にかかり火傷の原因になるやもしれんので注意が必要である。

「作法」と「実用の所作」というのには少し隔たりがある気がするが、ここは中庸をとって急須の注ぎ口を時計の十二時に例えるならば、一煎目は十二時位置、二煎目以降は六時位置にするというのが適当なのではないだろうかと考えた。

流石に穴だけあって「深い」ものである。