2014年11月6日木曜日

茶器を作る。


お世話になっている清水焼の作家さんのご厚意で、陶芸体験をする機会を得た。

何を作ろうかと悩むこともなく、抹茶碗と玉露を淹れるのに使う湯冷ましを作った。
普段使っている茶器に、どうという明確な不満があったわけではないのだけれど、
一度は自分の手で作ること、それを使うことを味わってみたいという思いを持っていた。


正確に言うと、すべてを自分一人で作ったわけではない。
ろくろを回して作陶しただけで、高台の削り出しや、釉薬をかけたりといった
仕上がりに大きく影響する工程は、作家さんにお任せした。

それでも、貴重な体験となった。
仕上がった品を手にして感じたことは大きく三点。

一つ目は、ここがこうだったら使いやすいかなと、自分なりに抱いていた
理想の茶器のイメージは、結構、曖昧でいい加減だったということ。
初めての陶芸体験で、思い通りの形を作るのは難しいなんてことは当然として、
「あれ、ここどうなってたっけ?」と、手を止めたりしていたのが影響したのか、
全体のバランスがどことなくおかしいように感じる。

ということで、プロの手からなる茶器は、
やはり良く出来ているのだなあということが二つ目。
いまある形は、時を経て、洗練されたものなのだなあと。

三つ目は、「茶器は液体を扱うものなのだ」という、これまた自明のこと。
湯を注ぐ、茶を点てる、急須、湯呑みに移す…
茶器に与えられたそれぞれの役割を全うするには、
ぱっと見ただけでは分からない複雑な曲線が必要なのだなあと。

そんなわけで、器を見るポイントが少し変わった。
そして、お茶を愉しむという大きなテーマの中に「茶器を作る」という
新しい切り口が加わった…際限なく広がるなあ。


2014年11月5日水曜日

「マイ急須」購入のススメ

「私、お茶好きやねん」と云ってペットボトルや紙パックのお茶を買い求められる方々が居られますが「お茶が好き」と仰るのなら是非とも「急須」で淹れて試してみて欲しいと思うのです。
「急須」を使用してお茶を淹れるということは「茶葉」を使用するということであり、この「茶葉」には様々な種類があって、いわゆる緑茶と云っても煎茶、深蒸し煎茶、玉露、かぶせ茶など栽培方法の違いや製法の違いで味や香りも異なります。
この「味と香り」を存分に楽しめるのが「急須」という道具であり、コンビニ等で売られ「急須で淹れたような…」とCMしているようなペットボトルのお茶では味わえない「味と香り」を提供してくれます。
「焼き物」としての楽しみも味わい深いものがあり、陶器、磁器で作陶された好みの急須や湯のみを使った「お茶の時間」は格別なものです。
最も大切なのは高級なお茶やお菓子、道具ではなく「もてなし」の心であり自分はもとより家族や友人、お客様に美味しいお茶を淹れようという気持ちであると思います。
急須に茶葉と少し冷ましたお湯を入れて「お茶が出る」までの時間も会話を楽しみ、そしてお茶の味と香りを楽しむ。
是非ともお好みの急須を購入して「お茶屋」で茶葉を選んで淹れてみて下さい、きっと誰かにも淹れてあげたくなりますよ!


2014年10月30日木曜日

茶に合わせて急須を選ぶ。


思うところあって、常滑焼の急須を買った。
主に個人的に抱いている「お茶とそれを取り巻くもやもや」と向き合うためだ。

日本茶に興味を持つきっかけとなったのは、宇治の玉露で、
それを淹れるのに必要な「宝瓶」や「絞り出し」といった
持ち手のない急須にばかり目を向けていたのだが、
玉露を買い求めに訪れる京都のお茶屋さんも、
清水焼の産地にほど近い五条坂の陶器屋さんも、
「急須と言えば、常滑焼、あるいは萬古焼」という世の定説にしたがって、
二大産地の品を並べており…文字通り、避けては通れないモノなのだ。

お茶は単にノド、カラダを潤す「機能的飲料」ではなく、
ココロを満たす「情緒的飲料」だと言う人がいる。
湯を沸かし(時には湯ざましをして)、急須を使い、茶葉が開くのを待つ時間を持つことは、
実に素敵なことだと思う。確かに情緒的である。疑うことはない。

疑うとすれば、急須という道具の在り方だ。
確立されているようで、必ずしもそうでないのが、
茶葉と急須、湯呑みの組み合わせだ。

例えば、山吹色の水色を特徴とする宇治茶を愉しむなら、
湯呑みは、その水色を邪魔しない白色のものが良いように思うが、
その宇治茶を提供する京都のお茶屋さんの多くは、別段、こだわりを見せない。
急須においても然りで、煎茶にはこれ、玉露にはこれと
オススメの急須を置く店は、ほとんどと言って良いほど見かけない。

常滑焼、萬古焼のルーツは、中国の宜興の茶器、茶壺(チャフー)と言われている。
茶壺に使われる土が鉄分を多く含み、茶をまろやかにするものであったことから、
朱泥や紫泥といった(釉薬をかけない土の)品が作られるようになり、
世界の茶器の主流である「後手(あとで)」ではなく、「横手(よこで)」のものへと、
現在の(いわゆる)急須の原形を作ったのだとされている。

形状の進化と完成という意味で、常滑焼や萬古焼が果たした役割は大きい。
特に、常滑焼の急須の「ささめ」と呼ばれる目の細かな茶漉し部分や、
注ぎ口に対して直角よりわずかに内側に付ける持ち手の角度などは、
他の産地の急須にも取り入れられている。

むしろ、常滑焼や萬古焼は、影響を与え過ぎたのかもしれない。
高い技術で作られたものが、安価で提供されるようになると市場は進化を止める。
熱湯で早く出せるように改良された深蒸し茶が売れていくのにいち早く対応して、
常滑焼や萬古焼が、茶漉しにステンレスやフッ素コーティングを導入すると、
それがスタンダードとして定着してしまった感がある。

京都のお茶屋さんの多くが、作家性の高い京焼・清水焼ではなく、
普及品として機能性の高い常滑焼や萬古焼を置くのは良く分かる。
手入れの簡単なステンレス製の茶漉しが付いた品をすすめるのも、十分理解できる。
要は需要と供給のバランスなのだ。悪いことだと言うつもりなど毛頭ない。

それでもやはり、それで良いのか?と思う。

お茶を「情緒的」に愉しむためには、茶器のバリエーションの豊かさは欠かせない。
色や形といった見た目だけではなく、土や焼き方によって茶の味が変わるという
科学的データもあるのだから、それを踏まえたモノ作りと、アナウンスがあって良いはずだ。

茶業関係の人間ではないのだけれど、
「たかがお茶でしょ?そんなに沢山、急須を集めてどうするの?」
と、言われる人を少しでも減らしたいという欲がある。
それが何故だか尋ねられても、(今のところ)上手く言語化できない。
「料理に合わせて食器を選ぶように、茶に合わせて茶器を選ぶ」。
そんなことが当たり前の世の中になればと思うし、

…ということを確認するため「だけ」に、この急須を買ったわけではないし、
常滑焼や萬古焼には、一般普及品以外にも魅力的な急須があることも
紹介していこうと思うのだけれど、それはまた別の機会に。

2014年10月29日水曜日

香気の融合はセクシーか。

「お茶の香り」と一言で片付けてしまいがちであるが、お茶の「香気成分」というのは300種以上も含まれているそうで不思議に思うのは山というか土のものであるにもかかわらず「青海苔の様な香り」(ジメチルスルフィド)が含まれていたり、ある意味で宿敵の「コーヒーの様な香り」(フラン類)などもあるらしく複雑なこと極まりない。

普段、お茶を淹れていて感じられる香気は「ジャスミン」などのお花系の香気、もちろん青葉のような香り、柑橘系の香りなど様々であるが自分がここで書きたいことはそういう「化学的」な事柄ではなく「お茶の楽しみ」であって「ほんならなんで冒頭で難しげに書いたんや」と問われれば「お茶の香りって複雑やん…」ということを説明したかったのであり、それでまた文章が長くなって読むのを途中で止めてしまう人が続出というか「続出」するほどの読者もおらずであるから好きに書したいと思う。

要は「お茶請け」である。

煎茶だけ淹れて飲んでもよいけれども美味しい「お茶請け」があればお茶の時間はより豊かになるのでありこれは重要なのである。

ある日の夕刻、煎茶を淹れようと湯を沸かしながら「昨日メロンもらった」という記憶が頭脳の片隅から零れ落ち冷蔵庫からその三日月状にカットされた「メロン」をテーブルへ運んだ。

甘い「麝香」の香り、このマスクメロン(ムスクが正解か)も不思議なことに植物でありながら「動物系」の香りがする野菜、栄養学上では「果物」である。

急須に茶葉、冷ました湯を入れて抽出している間に自分はメロンに齧りついた。

口腔から鼻腔に抜けるムスク、甘くやわらかい食感、舌に微小のピリリとした刺激なんかもあり「メロン、ええやん」とか呟いているとよい時間になり、湯のみに茶を注ぐと今度は茶の「複雑な香気」が立ち上ってくる。

先程のムスクの残り香、余韻が残る中で煎茶をひと口ほど舌の上に広げてみると相反するかと思われた「香気」が交じり合い重なり合って鼻腔から抜けてゆく。

「おお……」とオッサンは一人、台所で或いはキッチンで呻いた。

このメロンの香気と煎茶の香気はもちろん違う方向からゆっくりと立ち登り、そして「ある場所」でヒューズ(融合)する。

自分はこんなセクシーな煎茶、もとい「セクスィーな煎茶」は初めての経験であった。

これは個人的な一例であり必ずしも誰もがセクシー煎茶を体験できるものではないとは思いますが興味のある方は是非お試しあれ。

巷では「抹茶×ビール」なども流行ってきているようであり日本中でお茶のブームが再来することを願いつつ筆を置き、窓の外では紅葉した柿の葉が揺れて落ちてはらり。

2014年9月18日木曜日

めぐりあい、お茶

「めぐりあい、お茶」云うてガンダムっぽいタイトルであるが自分が何故に日々、煎茶や玉露、番茶などを淹れて楽しむようになったかといえば、それは「めぐりあった」からであると思う。
そもそも自分の中での「お茶」というものは自分で淹れるようなものではなくて「おかん」が和菓子なんかを食す時に淹れていて「お菓子食べや」なんて呼び止められて、おかんがテレビを観ながら湯吞みに注いでくれるようなものであり、自分でお茶を淹れることはあってもそれは適当というか雑であって、土瓶などに適当な量の茶葉を入れて熱湯を満タンになるまで注ぎ、これまた「寿司屋かっ!」というような大きい湯飲みでもって熱々のお茶を啜り飲むというのが常であった。
「お茶」は好きであったが、どちらかといえば「コーヒー」を飲むことの方が多くペットボトルのお茶ですら購入することはあまりなかったと記憶している。
それがある日を境に自分のお茶に対する概念を根底から覆されることになってしまうのであるが、これは「登さん」との会話で幕を開けることになる。
自分がその頃ブログで「使っていた急須の蓋が落ちて割れた」みたいなことを書いていて、それを読んでくれたのか後日、話す機会があった際に「急須でお茶淹れるんや……」と登さんは不思議そうに云い「淹れますよ」と自分は答えたのだが「急須でお茶を淹れる」ということ事態が今は珍しいことだということを聞いて驚いたり「お茶の淹れかた」を教えてもらい、如何に自分が今まで適当に「お茶」を淹れていたかということに衝撃を受けた。
それから登さんとミウラ氏に会う機会があり「よかったらこれ淹れてみて」と頂いた宇治茶の「茶葉」の素晴らしさに感動して現在に至るのであるが、この「お茶」と「めぐりあい」が自分の人生をまた一つ豊かにしてくれたのであり本当に感謝している。
今では「お茶のない生活」というものは考えられず「お酒は我慢できるけどお茶は無理」であるし、出不精で低血圧、過敏性大腸症候群の自分には煎茶が「効く」のであり、もう生活に欠かすことはできない。
それに「お茶の楽しみ」というのは多岐にわたり、もちろん茶葉の産地であるとか製茶の方法、簡単に言えばお茶屋の数だけ様々な「味」がある訳であって、いろいろな茶屋をめぐるのも楽しいし「茶器」も様々なものがあって自分に合う「茶器」を探すのもよかろうと思う。
なにより家族や友人と茶菓子を食しながら淹れたり淹れてもらったりするお茶は格別なものであり本当に有意義な時間である。
「何事もめぐりあいというのは大切であるなぁ」と一人で感慨に耽る秋の夜。


2014年9月2日火曜日

夏の終わりに、宇治茶パフェ

アイスクリームは、気温27℃から30℃の間が最も売れるらしい。
しかし、昨日、2014年9月1日の京都市内の最高気温は25℃と、涼しい一日であり、
(ちょっと気になって調べてみたところ、過去50年で最も最高気温の低い9月1日だった)
何なら、「ちょっと熱いお茶でも淹れようかなあ」と思うほどだった。

だが、ふと思い立って訪れたお茶屋さんで、宇治茶パフェソフトを食べた。
なぜだろう?…さして、好きなスイーツでもないのに。
たとえ、気温が27℃から30℃の間でも食べることはないのに。

「お茶屋さんならではの抹茶スイーツ」という触れ込みは非常に多い。
肝心なのは、それを提供するお茶屋さんが、どういった店かである。
スイーツに入れ込み過ぎて、お茶を置いていないお茶屋さんも少なくない。

図らずも、宇治茶パフェソフトを食べることになった「大谷園茶舗」さんには、
お徳用ほうじ茶から、品評会で受賞した煎茶や玉露、そして抹茶まで、
幅広い商品ラインナップと、地域に根付いていることを示す佇まい。
注文することが、ごく自然に思える「お茶屋さん」然とした雰囲気があった。



抹茶はもちろんのこと、ソフトクリームに使う原料はすべて、
茶審査技術五段というご主人が吟味されたとあって、確かな味わいだった。
滑らかな舌触りでありながら、それを邪魔しない程度に存在を主張する抹茶。
さらに、小豆、白玉、甘栗、ウエハース、ワッフルコーンのバランスも絶妙で、
研究開発を繰り返してこられたことが伝わる逸品であった。

これまで、「抹茶を使ったスイーツ」に驚くことなどないだろうと思っていたが、
地元の方の利用も多いと見えるお茶屋さんで、それが単なる思い込みであると知った。

お茶そのものを愉しむという基本スタンスを変えるつもりはないが、
その味わいを広めたいと、日々研究を重ねておられるお茶屋さんの試みにも、
しっかりと目を配っていこうと感じた次第である。

2014年7月16日水曜日

唖然

そもそも 「熱湯玉露」 というものには疑念を抱いていたというのは事実であり、この中途半端な感じが 「なんやねん!」 と思っていた。

自分は近くの大型ショッピングモールに店舗を構えている 「茶屋」 でたまに煎茶を購入するのであるが先の 「熱湯玉露」 がセールになっており、店員のお姉さんが淹れてくれたその熱湯玉露が 「まぁええか」 と云う感じであって、普段は煎茶派の自分は 「たまには玉露も……」 と思いその玉露を購入したのである。

早速、淹れてみるに低温で淹れるとそれなりに 「玉露」 であるし、高温で淹れてもそこそこ美味しいのであるが、どうも玉露に慣れない自分は、ふと成分表に目をやるとそこには 「覆い下緑茶(国産)アミノ酸、重炭酸アンモニウム」 と書されていることに自分は驚愕した。

化学薬品によって味を 「調整」 されていたのである。

これは 「詐欺行為」 に他ならないと自分は思うのであるが間違いであろうか。

このような化学薬品は表向きには 「無害」 とされているが本当に人体に無害なのか分かったものではないし、調べたところこの 「重炭酸アンモニウム」 には 「皮膚、目、呼吸器系に対する刺激性がある」 と明記されているし、アレルギー体質の方、そのような化学物質に過敏に反応してしまう方々にとってこれは完全なる 「脅威」 でしかないのではないか。

この 「茶屋」 はまだ表記しているのでマシな方だとも思えるけれども、他にはこのような表記もせずに茶を販売している業者が居ないとも限らないのではないか思うのが現状と云うか消費者としての率直な気持ち、或いは 「意見」 である。
 
自分はもうこの 「茶屋」 でお茶を購入することは無いであろう。

「茶葉」 そのもので勝負するのが本当、或いは本物なのではないだろうか。

非常に残念な事例である。