2014年12月6日土曜日

入賞煎茶は覚醒するのか。

煎茶にもいろいろあって、ベーシックでリーズナボーなものからハイエンドなものまでありますが、中でも「入賞茶」と銘打たれでいるものがあって、これは何処そこの品評会にて入賞した煎茶を商品化したものである。

自分は「20%オフ」という言葉に負けてその煎茶を購入し「入賞って結局は何位?」とか独り言を呟きながら早速、70℃程まで冷ましたお湯で淹れてみたところ、水色は若干であるが赤く感じ「ひょっとしてこれ古い?」と思ってパッケージで確認してみると賞味期限はたっぷりと残っていた。

その一煎目を飲んでみるに「なんかアカン…」という感じであり、何処がアカンのかよく分からないまま熱めの湯で二煎目を淹れると一煎目とは明らかに違う水色であって「これで普通な感じやけど……」と思いつつ飲んでみるとなかなかに美味しい。そして不思議。

「熱めの湯で淹れたほうがええのんか?」と考えて新しい茶葉で試してみると、今度は渋みが強すぎてまた失敗した。

実にコントロールの難しい煎茶である。

湯の温度、茶葉の量、抽出時間が非常にシビヤな感じであり、そこは入賞煎茶である故に「違いのわかる男」にしか上手く淹れることは出来ない「プロ用煎茶」なのであろうか。

レース用にカリカリにチューンされた車というのは繊細であって扱いも難しいのと同じかと、何となくそれと重ね合わせて「ほぉ~」とか「えええ」とか独り言が増えて困るが、こういう煎茶は一般の方が「お客様用」なんて考えで購入して、いざ淹れてみてもなかなか美味しく淹れるのは難しいのではないだろうか。

故に一度購入しても「値段は高いしあんまり美味しくない」という評価になり「売れない煎茶」にならないのかが非常に心配である。

まだまだ「入賞煎茶」の塩対応は続く見通し。


余談であるが上記の煎茶を購入した茶屋で来年のカレンダーを頂戴した。

そのカレンダーの写真に添えられた言葉は「礼儀を正しながら、一年を誓う神妙な気持ちでいただくお抹茶。お茶に由縁が深い天満宮の御神域で格別に心が引き締まります」とあった。

ある女性芸能人が京都の茶に縁の深い場所でお茶を点てたり淹れたりという様が写真に映し出されているのだが、その全てが「合成」であり、着物を着た女性芸能人とその他エキストラD級芸能事務所のモデル達は北野天満宮や東本願寺渉成園、平等院等には全く行っておらず、どこかのスタジオでココアとカントリーマアムなんかを食しながらブルーバック、或いは背景無しで写真を撮影し、取っ払いでギャラを貰って帰りにカラオケで打ち上げというのがオチであろう。

自分はその中身を見て第一声「ぜんぜん心引き締まってないやん…」と呟き、ここまでバレバレの合成写真も珍しいなと思ったついでに少し切なくもなった。

来年のカレンダーだけに鬼も失笑である。


※追記
某女性芸能人とD級芸能事務所のモデル達と書いたが、この芸能人以外(子役除く)は裏千家であるとか所謂ところの「道」の方々らしいのでここで訂正しておきます。



2014年11月18日火曜日

「朝茶に別れるな」


他には、「朝茶には福が増す」、「朝茶はその日の難逃れ」、「朝茶は七里帰っても飲め」など、
とにかく、昔の人は「朝、お茶を飲むとええことあるで」と、推し続けてきたわけです。

11月も半ばを過ぎて、朝の冷え込みは冬のそれ。
ウチのコドモたちも、「風邪の諸症状」が出始めてきたので、
体調を整えるためにも、改めて「朝茶」を薦めようかと思う次第。

「風邪にはビタミンC」という定説(是非はさておき)がありますが、
サプリメント(合成アスコルビン酸)で摂ろうとするのではなく、
吸収率の良い天然モノ、朝茶によるビタミンC摂取の方が断然良いかと。

ここで念を押しておきたいのが、「茶のビタミンCは壊れにくい」ということ。
熱やアルカリに弱いと知られるビタミンC(野菜を10分茹でると、約半分に)。
お茶のカテキン類が、ビタミンCの安定化を促す働きを持っているとか。
栄養は、食物から摂るべきだということが良く分かります。

もっとも、「朝茶」のことわざは、「朝からビタミンCを摂ろうぜ」という話ではなく、
「お茶を飲む余裕ぐらい持ちなさいよ」というメッセージだと思いますが、
それでも、プラシーボ効果が高まるなら、知っておいて損のない知識ではないかと。

2014年11月17日月曜日

今更ながらマニュアル通りに淹れてみる。

お茶を購入すると包装の裏面に「美味しい淹れ方」なる説明書きがあることに着目し、今回はこの「説明書き」の通りにお茶を淹れてみるとどうなるかという実験をしてみました。
某有名茶屋の煎茶を説明書きの通り三人分。
①お湯をよく沸騰させます。(三人分200cc)
②急須に茶葉大さじ2杯(10g)を入れ、沸騰したお湯を80度位まで冷ましてから注ぎます。
③しばらくおいて、茶味が均等になるように注意しながら湯吞みに注ぎ分けます。
 この時、急須のお茶は必ず最後の一滴まで注ぎきるようにしてください。
上記の通り淹れてみるに、なるほど美味しかったのであるが、ここで問題なのは80度位まで冷ましたお湯を茶葉が入った急須に入れるという件なのだが、これをすることによって80度の湯は使用する急須の大きさ等にもよるが大まかには10℃ほど下がる筈である。
10℃下がって70℃なら丁度良い上茶であるが、自分がここで「ん?」と思ったのは急須を温めていないという点であり、急須に沸騰したお湯を入れ、そこから湯のみ、湯冷ましという流れで70℃で淹れるのと今回のように80℃のお湯を何もしていない急須で淹れることに「差」があるのではないかと自分は思ったのだが、この疑問は次回に回すことにする。
流石に「お茶屋」の煎茶にある説明書きは説得力というか、当然であるが商っている商品を理解しておられるので「美味しく」淹れることは出来たが上で書した様な問題、或いは「しばらくおいて」という曖昧な表現をクリアにしたいところではある。
しかし、全てを真に受けることなく自分の「好み」で淹れればよい訳なので、あまりにもガチガチにマニュアル化するのもどうかと思うし難しい。

今度は大型スーパーで売られている比較的「良い」煎茶をこれまた説明書きの通りに淹れてみました。
スーパーの煎茶(二人分)
①お湯を充分沸騰させてください。(二人分180cc)
②急須、茶碗をあらかじめ温めておきます。
③茶葉6gを急須に入れます。(ティースプーン約2杯)
④少し冷ましたお湯(約70度)を急須に注いでください。
⑤約1分後お茶の色が均等になるように、ゆっくりと残さず茶碗に注ぎ分けてください。
上記の通り淹れてみるに、結果は「全くお茶が出ていない」という結果であり残念であったが、あと30秒ほど待てば結果は違ったと思う。
「条件」というのが様々にあって、上記のように淹れて「美味しく」淹れることが可能なのかもしれないが、ここで感じたのは「説明書き」を頭の片隅に置きながら「自分なりの淹れかた」を見つけ出すというのが大切なのであり、1回の失敗で「このお茶アカンわ…」とするのではなく様々な角度からアプローチすることによってそのお茶の持つ「ポテンシャル」を引き出すというのも面白いのではないかと思った今日この頃なのであるが、こんなに長々と書いて一体誰が興味あんねんと嘆きつつ筆を置くことにします。


2014年11月6日木曜日

茶器を作る。


お世話になっている清水焼の作家さんのご厚意で、陶芸体験をする機会を得た。

何を作ろうかと悩むこともなく、抹茶碗と玉露を淹れるのに使う湯冷ましを作った。
普段使っている茶器に、どうという明確な不満があったわけではないのだけれど、
一度は自分の手で作ること、それを使うことを味わってみたいという思いを持っていた。


正確に言うと、すべてを自分一人で作ったわけではない。
ろくろを回して作陶しただけで、高台の削り出しや、釉薬をかけたりといった
仕上がりに大きく影響する工程は、作家さんにお任せした。

それでも、貴重な体験となった。
仕上がった品を手にして感じたことは大きく三点。

一つ目は、ここがこうだったら使いやすいかなと、自分なりに抱いていた
理想の茶器のイメージは、結構、曖昧でいい加減だったということ。
初めての陶芸体験で、思い通りの形を作るのは難しいなんてことは当然として、
「あれ、ここどうなってたっけ?」と、手を止めたりしていたのが影響したのか、
全体のバランスがどことなくおかしいように感じる。

ということで、プロの手からなる茶器は、
やはり良く出来ているのだなあということが二つ目。
いまある形は、時を経て、洗練されたものなのだなあと。

三つ目は、「茶器は液体を扱うものなのだ」という、これまた自明のこと。
湯を注ぐ、茶を点てる、急須、湯呑みに移す…
茶器に与えられたそれぞれの役割を全うするには、
ぱっと見ただけでは分からない複雑な曲線が必要なのだなあと。

そんなわけで、器を見るポイントが少し変わった。
そして、お茶を愉しむという大きなテーマの中に「茶器を作る」という
新しい切り口が加わった…際限なく広がるなあ。


2014年11月5日水曜日

「マイ急須」購入のススメ

「私、お茶好きやねん」と云ってペットボトルや紙パックのお茶を買い求められる方々が居られますが「お茶が好き」と仰るのなら是非とも「急須」で淹れて試してみて欲しいと思うのです。
「急須」を使用してお茶を淹れるということは「茶葉」を使用するということであり、この「茶葉」には様々な種類があって、いわゆる緑茶と云っても煎茶、深蒸し煎茶、玉露、かぶせ茶など栽培方法の違いや製法の違いで味や香りも異なります。
この「味と香り」を存分に楽しめるのが「急須」という道具であり、コンビニ等で売られ「急須で淹れたような…」とCMしているようなペットボトルのお茶では味わえない「味と香り」を提供してくれます。
「焼き物」としての楽しみも味わい深いものがあり、陶器、磁器で作陶された好みの急須や湯のみを使った「お茶の時間」は格別なものです。
最も大切なのは高級なお茶やお菓子、道具ではなく「もてなし」の心であり自分はもとより家族や友人、お客様に美味しいお茶を淹れようという気持ちであると思います。
急須に茶葉と少し冷ましたお湯を入れて「お茶が出る」までの時間も会話を楽しみ、そしてお茶の味と香りを楽しむ。
是非ともお好みの急須を購入して「お茶屋」で茶葉を選んで淹れてみて下さい、きっと誰かにも淹れてあげたくなりますよ!


2014年10月30日木曜日

茶に合わせて急須を選ぶ。


思うところあって、常滑焼の急須を買った。
主に個人的に抱いている「お茶とそれを取り巻くもやもや」と向き合うためだ。

日本茶に興味を持つきっかけとなったのは、宇治の玉露で、
それを淹れるのに必要な「宝瓶」や「絞り出し」といった
持ち手のない急須にばかり目を向けていたのだが、
玉露を買い求めに訪れる京都のお茶屋さんも、
清水焼の産地にほど近い五条坂の陶器屋さんも、
「急須と言えば、常滑焼、あるいは萬古焼」という世の定説にしたがって、
二大産地の品を並べており…文字通り、避けては通れないモノなのだ。

お茶は単にノド、カラダを潤す「機能的飲料」ではなく、
ココロを満たす「情緒的飲料」だと言う人がいる。
湯を沸かし(時には湯ざましをして)、急須を使い、茶葉が開くのを待つ時間を持つことは、
実に素敵なことだと思う。確かに情緒的である。疑うことはない。

疑うとすれば、急須という道具の在り方だ。
確立されているようで、必ずしもそうでないのが、
茶葉と急須、湯呑みの組み合わせだ。

例えば、山吹色の水色を特徴とする宇治茶を愉しむなら、
湯呑みは、その水色を邪魔しない白色のものが良いように思うが、
その宇治茶を提供する京都のお茶屋さんの多くは、別段、こだわりを見せない。
急須においても然りで、煎茶にはこれ、玉露にはこれと
オススメの急須を置く店は、ほとんどと言って良いほど見かけない。

常滑焼、萬古焼のルーツは、中国の宜興の茶器、茶壺(チャフー)と言われている。
茶壺に使われる土が鉄分を多く含み、茶をまろやかにするものであったことから、
朱泥や紫泥といった(釉薬をかけない土の)品が作られるようになり、
世界の茶器の主流である「後手(あとで)」ではなく、「横手(よこで)」のものへと、
現在の(いわゆる)急須の原形を作ったのだとされている。

形状の進化と完成という意味で、常滑焼や萬古焼が果たした役割は大きい。
特に、常滑焼の急須の「ささめ」と呼ばれる目の細かな茶漉し部分や、
注ぎ口に対して直角よりわずかに内側に付ける持ち手の角度などは、
他の産地の急須にも取り入れられている。

むしろ、常滑焼や萬古焼は、影響を与え過ぎたのかもしれない。
高い技術で作られたものが、安価で提供されるようになると市場は進化を止める。
熱湯で早く出せるように改良された深蒸し茶が売れていくのにいち早く対応して、
常滑焼や萬古焼が、茶漉しにステンレスやフッ素コーティングを導入すると、
それがスタンダードとして定着してしまった感がある。

京都のお茶屋さんの多くが、作家性の高い京焼・清水焼ではなく、
普及品として機能性の高い常滑焼や萬古焼を置くのは良く分かる。
手入れの簡単なステンレス製の茶漉しが付いた品をすすめるのも、十分理解できる。
要は需要と供給のバランスなのだ。悪いことだと言うつもりなど毛頭ない。

それでもやはり、それで良いのか?と思う。

お茶を「情緒的」に愉しむためには、茶器のバリエーションの豊かさは欠かせない。
色や形といった見た目だけではなく、土や焼き方によって茶の味が変わるという
科学的データもあるのだから、それを踏まえたモノ作りと、アナウンスがあって良いはずだ。

茶業関係の人間ではないのだけれど、
「たかがお茶でしょ?そんなに沢山、急須を集めてどうするの?」
と、言われる人を少しでも減らしたいという欲がある。
それが何故だか尋ねられても、(今のところ)上手く言語化できない。
「料理に合わせて食器を選ぶように、茶に合わせて茶器を選ぶ」。
そんなことが当たり前の世の中になればと思うし、

…ということを確認するため「だけ」に、この急須を買ったわけではないし、
常滑焼や萬古焼には、一般普及品以外にも魅力的な急須があることも
紹介していこうと思うのだけれど、それはまた別の機会に。

2014年10月29日水曜日

香気の融合はセクシーか。

「お茶の香り」と一言で片付けてしまいがちであるが、お茶の「香気成分」というのは300種以上も含まれているそうで不思議に思うのは山というか土のものであるにもかかわらず「青海苔の様な香り」(ジメチルスルフィド)が含まれていたり、ある意味で宿敵の「コーヒーの様な香り」(フラン類)などもあるらしく複雑なこと極まりない。

普段、お茶を淹れていて感じられる香気は「ジャスミン」などのお花系の香気、もちろん青葉のような香り、柑橘系の香りなど様々であるが自分がここで書きたいことはそういう「化学的」な事柄ではなく「お茶の楽しみ」であって「ほんならなんで冒頭で難しげに書いたんや」と問われれば「お茶の香りって複雑やん…」ということを説明したかったのであり、それでまた文章が長くなって読むのを途中で止めてしまう人が続出というか「続出」するほどの読者もおらずであるから好きに書したいと思う。

要は「お茶請け」である。

煎茶だけ淹れて飲んでもよいけれども美味しい「お茶請け」があればお茶の時間はより豊かになるのでありこれは重要なのである。

ある日の夕刻、煎茶を淹れようと湯を沸かしながら「昨日メロンもらった」という記憶が頭脳の片隅から零れ落ち冷蔵庫からその三日月状にカットされた「メロン」をテーブルへ運んだ。

甘い「麝香」の香り、このマスクメロン(ムスクが正解か)も不思議なことに植物でありながら「動物系」の香りがする野菜、栄養学上では「果物」である。

急須に茶葉、冷ました湯を入れて抽出している間に自分はメロンに齧りついた。

口腔から鼻腔に抜けるムスク、甘くやわらかい食感、舌に微小のピリリとした刺激なんかもあり「メロン、ええやん」とか呟いているとよい時間になり、湯のみに茶を注ぐと今度は茶の「複雑な香気」が立ち上ってくる。

先程のムスクの残り香、余韻が残る中で煎茶をひと口ほど舌の上に広げてみると相反するかと思われた「香気」が交じり合い重なり合って鼻腔から抜けてゆく。

「おお……」とオッサンは一人、台所で或いはキッチンで呻いた。

このメロンの香気と煎茶の香気はもちろん違う方向からゆっくりと立ち登り、そして「ある場所」でヒューズ(融合)する。

自分はこんなセクシーな煎茶、もとい「セクスィーな煎茶」は初めての経験であった。

これは個人的な一例であり必ずしも誰もがセクシー煎茶を体験できるものではないとは思いますが興味のある方は是非お試しあれ。

巷では「抹茶×ビール」なども流行ってきているようであり日本中でお茶のブームが再来することを願いつつ筆を置き、窓の外では紅葉した柿の葉が揺れて落ちてはらり。

2014年10月28日火曜日

ちょっとが美味しい羊羹/おもかげ(虎屋)

お茶にはお菓子があるとなおステキ。
ということで、お茶と一緒に楽しみたいお菓子についてまとめていきたいと思います。
まずは、虎屋さんの「おもかげ」です。

自分が自分のためにお茶を淹れるときのお菓子として、私が最も好んで用意するのが虎屋の「おもかげ」。20歳のときに椎間板ヘルニアで入院した私は、ベッドの上での約1ヶ月、お茶と「おもかげ」でつらい日々を耐え楽しんだ記憶があります。「おもかげ」がなくなれば「おもかげ」と呟き、誰かに持ってきてもらう。しかも、ふつうサイズではなく1本240円の小型。なぜそれまでに「おもかげ」なのか。考えたこともないので思いつくままに書いてみます。

美味しいものをいただく際の分量について誰しもお考えになられたことがあるかと思いますが、私はといえば「ちょっと食べたい」ほうです。「ええもんがちょっとほしい」のです。なんで、ちょっとなのかよくわからないのですが、おそらく、「ちょっとでええ、ええもん」がほしいのだと考えています。
 では「ちょっとではない、ええもん」というのは何があるかといえば、自分が思い当たるところでは海の近くにある料理旅館などのカニ。私はカニ好きですが旅館でカニをいただくと「もうええ…」という結果になります。「もうええ…」から1ヶ月もすれば、またカニが恋しくなっていたりするので、カニはそれぐらいの魅力があるのでしょうが、それでも「もうええ…」から1ヶ月は要します。
 一方「ちょっとええ、おもかげ」は、毎日でもいただくことができます。薄く切れば1日に10回ぐらいに分けて「幸せやなあ」と感じることができるのです。

ちなみに、私は「おもかげ」を薄く切る習慣があります。「そんな食べ方をするのは羊羹好きじゃない」などというお叱りを受けたこともありますが、私は特に羊羹好きではありません。「おもかげ」好きなのです。舌にちょっと乗る程度のサイズでありながら、ザラッとしたりツルッとしたりいろいろな感触を舌に残してくれる「おもかげ」は、少量であっても口の中に黒糖のふわっとした甘みを残してくれます。その余韻を楽しみながら、100g600円~700円程度の渋みと甘みが混在する煎茶をいただくと至福。

今日は10月も後半ということでかなり風も冷たくなってきましたので、少し熱めの煎茶を淹れました。おもかげの薄さはいつもの約3倍程度。ちょっと贅沢な切り方にしてみました。



2014年9月18日木曜日

めぐりあい、お茶

「めぐりあい、お茶」云うてガンダムっぽいタイトルであるが自分が何故に日々、煎茶や玉露、番茶などを淹れて楽しむようになったかといえば、それは「めぐりあった」からであると思う。
そもそも自分の中での「お茶」というものは自分で淹れるようなものではなくて「おかん」が和菓子なんかを食す時に淹れていて「お菓子食べや」なんて呼び止められて、おかんがテレビを観ながら湯吞みに注いでくれるようなものであり、自分でお茶を淹れることはあってもそれは適当というか雑であって、土瓶などに適当な量の茶葉を入れて熱湯を満タンになるまで注ぎ、これまた「寿司屋かっ!」というような大きい湯飲みでもって熱々のお茶を啜り飲むというのが常であった。
「お茶」は好きであったが、どちらかといえば「コーヒー」を飲むことの方が多くペットボトルのお茶ですら購入することはあまりなかったと記憶している。
それがある日を境に自分のお茶に対する概念を根底から覆されることになってしまうのであるが、これは「登さん」との会話で幕を開けることになる。
自分がその頃ブログで「使っていた急須の蓋が落ちて割れた」みたいなことを書いていて、それを読んでくれたのか後日、話す機会があった際に「急須でお茶淹れるんや……」と登さんは不思議そうに云い「淹れますよ」と自分は答えたのだが「急須でお茶を淹れる」ということ事態が今は珍しいことだということを聞いて驚いたり「お茶の淹れかた」を教えてもらい、如何に自分が今まで適当に「お茶」を淹れていたかということに衝撃を受けた。
それから登さんとミウラ氏に会う機会があり「よかったらこれ淹れてみて」と頂いた宇治茶の「茶葉」の素晴らしさに感動して現在に至るのであるが、この「お茶」と「めぐりあい」が自分の人生をまた一つ豊かにしてくれたのであり本当に感謝している。
今では「お茶のない生活」というものは考えられず「お酒は我慢できるけどお茶は無理」であるし、出不精で低血圧、過敏性大腸症候群の自分には煎茶が「効く」のであり、もう生活に欠かすことはできない。
それに「お茶の楽しみ」というのは多岐にわたり、もちろん茶葉の産地であるとか製茶の方法、簡単に言えばお茶屋の数だけ様々な「味」がある訳であって、いろいろな茶屋をめぐるのも楽しいし「茶器」も様々なものがあって自分に合う「茶器」を探すのもよかろうと思う。
なにより家族や友人と茶菓子を食しながら淹れたり淹れてもらったりするお茶は格別なものであり本当に有意義な時間である。
「何事もめぐりあいというのは大切であるなぁ」と一人で感慨に耽る秋の夜。


2014年9月2日火曜日

夏の終わりに、宇治茶パフェ

アイスクリームは、気温27℃から30℃の間が最も売れるらしい。
しかし、昨日、2014年9月1日の京都市内の最高気温は25℃と、涼しい一日であり、
(ちょっと気になって調べてみたところ、過去50年で最も最高気温の低い9月1日だった)
何なら、「ちょっと熱いお茶でも淹れようかなあ」と思うほどだった。

だが、ふと思い立って訪れたお茶屋さんで、宇治茶パフェソフトを食べた。
なぜだろう?…さして、好きなスイーツでもないのに。
たとえ、気温が27℃から30℃の間でも食べることはないのに。

「お茶屋さんならではの抹茶スイーツ」という触れ込みは非常に多い。
肝心なのは、それを提供するお茶屋さんが、どういった店かである。
スイーツに入れ込み過ぎて、お茶を置いていないお茶屋さんも少なくない。

図らずも、宇治茶パフェソフトを食べることになった「大谷園茶舗」さんには、
お徳用ほうじ茶から、品評会で受賞した煎茶や玉露、そして抹茶まで、
幅広い商品ラインナップと、地域に根付いていることを示す佇まい。
注文することが、ごく自然に思える「お茶屋さん」然とした雰囲気があった。



抹茶はもちろんのこと、ソフトクリームに使う原料はすべて、
茶審査技術五段というご主人が吟味されたとあって、確かな味わいだった。
滑らかな舌触りでありながら、それを邪魔しない程度に存在を主張する抹茶。
さらに、小豆、白玉、甘栗、ウエハース、ワッフルコーンのバランスも絶妙で、
研究開発を繰り返してこられたことが伝わる逸品であった。

これまで、「抹茶を使ったスイーツ」に驚くことなどないだろうと思っていたが、
地元の方の利用も多いと見えるお茶屋さんで、それが単なる思い込みであると知った。

お茶そのものを愉しむという基本スタンスを変えるつもりはないが、
その味わいを広めたいと、日々研究を重ねておられるお茶屋さんの試みにも、
しっかりと目を配っていこうと感じた次第である。

2014年7月16日水曜日

唖然

そもそも 「熱湯玉露」 というものには疑念を抱いていたというのは事実であり、この中途半端な感じが 「なんやねん!」 と思っていた。

自分は近くの大型ショッピングモールに店舗を構えている 「茶屋」 でたまに煎茶を購入するのであるが先の 「熱湯玉露」 がセールになっており、店員のお姉さんが淹れてくれたその熱湯玉露が 「まぁええか」 と云う感じであって、普段は煎茶派の自分は 「たまには玉露も……」 と思いその玉露を購入したのである。

早速、淹れてみるに低温で淹れるとそれなりに 「玉露」 であるし、高温で淹れてもそこそこ美味しいのであるが、どうも玉露に慣れない自分は、ふと成分表に目をやるとそこには 「覆い下緑茶(国産)アミノ酸、重炭酸アンモニウム」 と書されていることに自分は驚愕した。

化学薬品によって味を 「調整」 されていたのである。

これは 「詐欺行為」 に他ならないと自分は思うのであるが間違いであろうか。

このような化学薬品は表向きには 「無害」 とされているが本当に人体に無害なのか分かったものではないし、調べたところこの 「重炭酸アンモニウム」 には 「皮膚、目、呼吸器系に対する刺激性がある」 と明記されているし、アレルギー体質の方、そのような化学物質に過敏に反応してしまう方々にとってこれは完全なる 「脅威」 でしかないのではないか。

この 「茶屋」 はまだ表記しているのでマシな方だとも思えるけれども、他にはこのような表記もせずに茶を販売している業者が居ないとも限らないのではないか思うのが現状と云うか消費者としての率直な気持ち、或いは 「意見」 である。
 
自分はもうこの 「茶屋」 でお茶を購入することは無いであろう。

「茶葉」 そのもので勝負するのが本当、或いは本物なのではないだろうか。

非常に残念な事例である。

2014年6月28日土曜日

アナの問題についての考察

「あな」と検索すれば「アナと雪の女王」となる昨今、自分は「穴」に興味があっただけで「アナと雪の女王」は観ていないし、この頃のアニメーションというのはヌルヌルというかどうも観ていて心地が悪い気がしており「あぁ昔のアニメがええわぁ」と思うのは自分だけなのであろうか。

さて、この「穴」であるが「急須の蓋の穴」のことであり、これ非常に気になって仕様がなくその都度に実験等を行っている。

問題なのはその「穴の位置」である。

煎茶道の作法、陶器を扱っておられる方々にとっては当たり前だろうがこの位置というのは急須の注ぎ口側に向けるというのが「決まり」というか「作法」らしい。

「急須の蓋の穴」は急須内の空気を逃がす穴であるが、この穴の位置でお茶の注ぎ具合がかなり変わる。

当然ながらお茶を注ぐには急須を傾けるのであるから、この穴を注ぎ口を向けていると一煎目は茶葉が膨らみきっていないので問題はない。

しかし、茶葉が水分を吸収して膨らみを増すにつれ急須の種類にもよるが「蓋の穴」が湯と茶葉で塞がれてしまい、お茶の出が悪いので急須を大きく傾けることによって蓋の隙間からお茶が溢れ出し、これが「尻引き」の原因になる。

煎茶道などの「作法」ではそこまで急須を傾けないであろうし、湯の量も少量であるのでさほど気になるものではないであろう。

そこで急須の蓋の穴は注ぎ口に向けるのではなく、正反対の位置にすると問題があるのだろうかという問題が浮上したので実験するに「特に問題はない」のであるが、土瓶など持ち手が急須の注ぎ口からそのまま後方に跨いでいるものは熱い湯気が持っている手にかかり火傷の原因になるやもしれんので注意が必要である。

「作法」と「実用の所作」というのには少し隔たりがある気がするが、ここは中庸をとって急須の注ぎ口を時計の十二時に例えるならば、一煎目は十二時位置、二煎目以降は六時位置にするというのが適当なのではないだろうかと考えた。

流石に穴だけあって「深い」ものである。

2014年1月3日金曜日

拍子抜け

先日、自分は所要あって大阪は梅田に出向いた折に「某有名茶屋」を発見したので、喜び勇んで女性店員さんに 「煎茶が欲しいのですが…」 と尋ねるとその店員さんはいきなり 「は?」 という曇った表情になり、困った感じで奥に居られる店長と思われる男性店員に耳打ちをしたかと思いきや、その男性店員はつかつかと奥から店先に出て来ると 「ウチに煎茶は置いておりません」 等と胸を張って吐きよってからに自分は驚愕した。

もう一度、暖簾に目をやると 「某有名茶屋」 の名前が堂々と印されていた。

全く自分には理解ができなかったのであるが、どうもその店舗は抹茶を使用した 「スイーツ」 専門の店舗らしく、茶屋の銘を名乗りながらも店先でお茶を出されることもなければ煎茶、玉露などを購入することも出来ないのである。

「そらアンタ他のお茶屋を探したらええがな」 と仰られるのは百も承知であるが、有名な茶屋の銘が暖簾に大きくあって 「お茶を置いていない」 というのは如何なものであろうか。

確かに観光で関西に来られている方々、特に外国人観光客の方々に 「抹茶スイーツ」 は好評なのだろうし売れ筋商品なのは理解できるけれども、自分的には何故にそこで 「茶を出さぬのか?」 という疑問、或いは不思議感に苛まれるのである。

店先で呆然と立ち尽くす自分を店員二人は 「阿呆か…」 という感じで眺めていた。

少し震えた。